「有職読み」について

日本には、「徳川慶喜(よしのぶ)」を「徳川慶喜(けいき)」というような、敬意を込めて名を音読みで呼ぶという慣習がある。
で、こういう読み方のことを「有職読み」と呼ぶ、とWikipediaに書かれており、オレはそれをすっかり信じていたのだが、最近になって、この言葉が辞書等には記載のない「独自研究」の可能性がある語らしい、ということを知った。

上記サイトのコメント欄によると、「昭和22年9月29日の国語審議会総会報告」に使用例があるそうなので、「有職読み」という言葉自体はWikipediaの立項以前からあるようだ。もともとは「有職読み」=「故実読み」だったのが、どこかの段階で誤って「人名音読み」のことを指す言葉になり、誤解した意味がWikipediaに書かれた、ということらしい。

オレがこの慣習について最初に知ったのは高島俊男の「お言葉ですが…」だった。で、読み返してみたのだが、確かに「有職読み」と称している箇所はない。

(前略)
でもほんとは、「徳川慶喜(けいき)」でちっともまちがいではないんですよね。
この人は、大政を奉還して将軍でなくなってからも、大正の初めまでずっと生きていた。おそばにつかえる人たちや親戚筋の人たちがこの人のことを話題にのぼせる時には、「慶喜様(けいきさま)」あるいは、「慶喜公(けいきこう)」と言った。一般の人たちも「徳川慶喜(とくがわけいき)」と言うのがふつうであった。
(中略)
つまり「徳川慶喜(けいき)」というのは、この人のことを言う時の最も一般的な呼称なのだ。それに、「徳川ヨシノブ」とむきつけに名を言うより、「徳川慶喜(けいき)」と音で呼ぶほうが、敬意をこめた呼びかたである。

  • 同書 p.241

(前略)
さきに言ったように、名乗はしばしば音で称される。
これは、まず第一に、どうよむのかわからないばあいが多いからである。
それに、どうよむかわかっていても、特に当人がまだ生きているあいだは、名を直称するのははばかられる。音で言うのは、その人を直接さすのではなく、名の文字をさして言っている、つまり間接にさしているという意識がある。音で言うほうがずっと口調がいい、ということも無視できない。
それになんと言っても、音には敬意がふくまれる。ひろく名を知られた人ほど、その名を音で言われることが多い。逆に言えば、名を音で呼ばれることは、著名人であること、多くの人から敬愛されていることの証拠である。

  • 同書 p.243

以上著名人の話ばかりしてきたが、実は従前は、名前を音で呼ばれる人はどこにもいたのである。そしてそれはたいてい、職場や仲間内の人気者であった。音読みは親愛の表現でもあったのである。

もし「有職読み」という語が最近になって作られた語なのだとしたら、今までは「名を音で呼ぶ」ことをなんと呼んでいたのだろう。