よつばと!6巻 再考

「再考」ってほどのものでもないが、もう一度読んでみて思ったこと。
一度目には気づかなかったのだが、読み直してみて「よつばとはいたつ」で、はしっこを走るよつばが溝に落ちそうになる(が、落ちない)、という細かい描写に気づいて驚いた。
また、6巻最終話としては不足の感を覚えた第41話だが、「よつばが自転車に乗ることを許される」ためだけに必要だったのかもしれない、と思った。そうなら6巻最終話はこの話じゃないとダメか。
上の考えから、高島俊男水滸伝の世界』で読んだ「遼国征討の話は公孫勝を物語から退場させるためだけに必要だった」という話*1を連想した。ふつう連想しないよな。
今思ったけどこの考え方は他にも応用が利きそうだ。たとえばワンピースを語る際に「空島編はメリー号を物語から退場させるためだけに必要だった」と言ってみる、とか。
あれ、あんまりよつばと!の話してない。

*1:より正確にいえば宮崎市定の論を高島俊男が敷衍したもの