夏侯淵は官渡の戦いで特にコレといって活躍してない

夏侯淵伝にこうある。(ちくま訳。2巻p.144)

(前略)袁紹と官渡で交戦したときには、督軍校尉を代行させた。袁紹が敗北したあと、兗州、豫州、徐州の兵糧を取りしきらせた。当時、軍には兵糧が乏しかったが、夏侯淵が絶ゆることなく輸送したため勢いをもりかえした。

「督軍校尉を代行させた。」のあといきなり袁紹が敗北していて、肝心の官渡の戦いで何をしたのかが書いてない。確かに袁紹が敗北したあとも袁家との戦いは続いているが、袁紹を倒したあとに兵糧を運んだのが夏侯淵にとっての最大の戦果であるなら夏侯淵官渡の戦いでは特にコレといって何も活躍していないということになるのではなかろうか。

話は変わって、2巻p.145。

雷緒が撃ち破られると、また行征西護軍に任じ、徐晃を指揮させ、太原郡の賊徒を攻撃させた。

とあるのだが、徐晃伝を見ると前後には満寵と関羽討伐したとか曹仁とともに周瑜を攻撃したとかあるのに「太原の反逆者を討伐し、」(3巻p.233)というところは夏侯淵の名前がない。あくまで指揮であって一緒に戦ったわけじゃないから?
徐晃は当時横野将軍だったとあるが、行征西護軍は横野将軍よりも偉いのかしら。
けっきょくよく分からなくなってきたので、続かない。