キーワード「献帝」

「字は伯和」とは『後漢書』の注に引く『帝王紀』にあるが、なぜ次男なのに長男を意味する「伯」が用いられているかは分からない。『帝王紀』の誤りかもしれない。なお『後漢書』に本紀が立てられている皇帝のうち本文中に字の記載があるのは光武帝だけのようだ。皇帝の字は一般には知られないものなのだろう。

って書いたけど、あまり自信がないので詳しい方がいたら直しておいてください。
「なぜ『伯和』なのか」について一応ググってみたがそもそもこれを問題にしている人がネット上に見当たらなかった。どうでもいいのか、やっぱ。