実質と本質?

いまだに考えるのは「なっち」はたまたま「なっちゃ」避けがうまくいったから残っただけで本質的には「のの」と変わるところはないんじゃないかということ。
あるいは「さんま」も、けっきょく明石屋さんまがたくさんテレビに出てるからミスヒットが目立たないだけで本質的には「ミスヒットを招くようなキーワード」には違いないんじゃないか、と。
「正ヒット対ミスヒットの比率」によってキーワードの生死を決めるというルールは明快だし実質的ではあるけれども、論理的、ないし本質的なやり方ではないなぁ、としょっちゅう考える。
モデレーションのあれも実質的だけど本質的ではないんだよね。
はてなの近藤さんが「不完全なシステムを不完全だなぁと笑いながら使ってほしい」みたいなことを言ってたので、たぶんそれでいいんだろう、と一応自分を納得させております。