三国志メモ

ちくまの「三国志演義」を読んでる。第六十四回の後半「楊阜 兵を借りて馬超を破る」のくだりは、登場人物が微妙にマイナーであることを除けば屈指のおもしろさだと思う。
第六十五回で劉備が蜀を得て降伏した武官・文官に官位と爵位を与えるくだりがあるのだが、この時点で劉備は左将軍なのに厳顔に前将軍、劉巴に左将軍、黄権に右将軍を与えているのはなぜなのか。この三人は劉備と同格なのか。というかこの後も劉備は何度か左将軍と呼ばれているようだ。劉巴の左将軍はどこいったんだ。このへんは羅貫中がもっともらしく官位をずらずらと並べてみせただけなのでまともに取り合う必要はないんだろうけど。