今さらだが、高島俊男の「漢字と日本人」を読み直している。3度目なのだが、非常に面白い。
個人的に好きなくだりを引用しようと思う。
「和語に漢字をあてるおろかさ」 P.86〜87

よくわたしにこういう質問の手紙をよこす人がある。――「とる」という語には、「取る」「採る」「捕る」「執る」「摂る」「撮る」などがあるが、どうつかいわければよいか、教えてください。あるいは、「はかる」には、「計る」「図る」「量る」「測る」などがあるが、どうつかいわけるのか教えてください。
わたしはこういう手紙を受けとるたびに、強い不快感をおぼえる。こういう手紙をよこす人に嫌悪を感じる。こういう手紙をよこす人は、かならずおろかな人である。おそらく世の中には、おなじ「とる」でも漢字によって意味がちがうのだから正しくつかいわけねばならない、などと言って、こういう無知な、おろかな人たちをおどかす人間がいるのだろう。そういう連中こそ、憎むべき、有害な人間である。こういう連中は、たとえばわたしのような知識のある者に対しては、そういうことを言わない。「滋養分をとる」はダメ、「摂る」と書きなさい、などとアホなことを言ってくるやつはいない。ほんとに自分の言ってることに自信があるのなら知識のある者に対してでも言えばよさそうなものだが、言わない。もっぱら自分より知識のない、智慧のあさい者をつかまえておどす。
「とる」というのは日本語(和語)である。その意味は一つである。日本人が日本語で話をする際に「とる」と言う語は、書く際にもすべて「とる」と書けばよいのである。漢字でかきわけるなどは不要であり、ナンセンスである。「はかる」もおなじ。その他の語ももちろん同じ。

この部分、なんというか、感銘を受けた。
今でこそ使い分けるのは当たり前のような気がしてしまうが、もともとは使い分けなど存在しなかったし、今でも実際には別に使い分けているわけではないのだ、という、言われてみれば確かにそうだという話なのだが、こうして言われるまでは思いもよらなかった。
そうしてみると、小学校の時にはそういう使い分けをさんざん習った記憶があるが、あれはなんだったのか。
「足が速い」と「朝起きるのが早い」とか。
しかしまぁ、こういう使い分けを知っていた方が確かに熟語の意味を類推するときなんかには便利だからな。一概に否定もできないのだよな。


この人の書く文章は読みやすくて好きだ。
読んだ事のない人のために、適当に書評を紹介しておく。